国際コミュニケーション学科11回 河田 知子 | 戸板短大から未来を描く

 

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戸板短大を卒業し、早いもので5年の月日が経ちました。時々、短大で過ごした楽しかった日々を思い出し温かい気持ちになります。

授業には、長い会社員生活で得られた知識とは全く別の、今まで知らなかった知識を学ぶ楽しさがありました。久しぶりに手にする辞書や筆箱に、学生である幸せを感じ、自宅でする予習や復習もとても新鮮でした。勉強って、こんなに楽しいものだったのかと、改めて実感しました。お昼休みに教室で学友たちと取る食事、帰りの電車でのおしゃべり、皆でスカイツリーを見ながらホテルで食事をしたひと時、たくさん写真も撮りました。孫のような世代の人たちと一緒に過ごしたのに、全く違和感を感じる事もなく戸板での2年間は、本当に本当に楽しい2年間でした。

私は戸板高校を卒業して入社した会社で、結婚、出産を経て定年まで働きました。昭和40年代に入社し、定年まで女性が働くケースというのは、民間企業ではとてもめずらしい事だったと思います。当時は、子供を持って女性が働き続けることはまれでした。しかし、良き上司や同僚に恵まれ、会社のおおらかな社風にも助けられ、保育園に子供を預けながら働いて来ました。勿論、仕事が楽しかった、という事が大きかったのですが、会社には恵まれたと思います。会社で積んだ貴重な経験は、今の自分の礎になっています。

定年からさらに1年働き、61歳で退職しました。退職後、手に入れた自由な時間を充実させたいと考え、結局学校に行くことにしました。その時真っ先に考えたのは、戸板に戻ることでした。心の深い部分に、戸板への愛着があったと思います。家族はみな4年制の大学を勧めましたが、定年をいくつか過ぎた年齢だったので、4年間通うことに自信が持てなかったこともありました。それでも、戸板を選んだことは正解だったと思っています。

戸板で勉強の楽しさを十分に味わうことができたからこそ、卒業後4年制の大学へ編入し勉強を続けようという気持ちになりました。ご指導いただいた多くの先生方のおかげであり、同じ時間を共有したクラスメートの方々のおかげでもあります。こんな楽しいことを2年だけで終わらせてしまうことが残念で、編入を決めました。

さらに時間が経ち、今は大学院に通う身となりました。大学院では国際協力や国際政治を勉強・研究しています。短大、大学と重い鞄を抱えて、よく4年間頑張ったなと自分でも思うのですが、まだ今でも重い鞄を抱えて通っているのです。

仕事をしていた時は、自分が将来大学に通うことになるとは考えていませんでした。もともと将来を計画的にデザインする程の計画性はありません。どちらかと言うと、その時その時でベスト又はベターだと判断した道を生きて来たように思います。

入社した会社にも何らかの必然性があった訳ではありません。会社が自分に合っていたのか、担ったいくつかの仕事が自分に合っていたのか、それは今でも分かりません。自分を仕事に合わせて行った、という方が正解かも知れません。自分に合う仕事、向いている仕事、それを追求することは意味のある事です。しかし与えられた仕事をきちんと成し遂げるその責任感が次の仕事を呼び、さらに仕事の世界が広がる、自分の意外な能力に気づく、という事もあるのではないでしょうか。

今仕事をしている若い方々には躊躇せず、様々な仕事に挑戦してほしいと思います。どのような仕事もやってみれば案外うまくできるものです。なぜならどのような仕事も誰かがやっているのであり、誰かができる仕事が「私」にできないはずがありません。

私にとって、今は論文を書き上げ大学院を無事卒業することが最優先事項ですが、その後はどんな仕事をしようか、今度は何を勉強しようか、この年齢になっても、あれこれ将来を思い描いています。戸板に戻って勉強を再開したことが、未来の希望へと繋がっています。                 2018.9.28